国際ボランティア学会 会長 中村安秀
私自身、1990年から1年間、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の保健医療担当官として、パキスタン協和国のイスラマバードで勤務したことがあります。当時は、ソビエト連邦のアフガニスタン侵攻により、500万人のアフガニスタン人が隣国のパキスタンとイランに難民として非難していました。
私が経験した国では、難民の約80%は女性と子供でした。多くの難民は、最低限の身の回りの物を持つだけで母国を離れることになります。戦争の悲惨な情景を目撃した人も少なくありません。自分の意思に反して生まれ育った国を離れざるを得ず、見知らぬ土地で暮らすことの喪失感は計り知れないものがありました。
一方、国連職員としての仕事の中では、難民出身の医師や理学療法士など素晴らしい医療スタッフと協同しました。当たり前のことですが、難民は援助されるだけの存在ではなく、自分たちの復興に対して参加する高い能力と強い意志をもっています。難民の人々が自分で力をつけ、自分たちの生活を改善し、レジリエンスを発揮する過程を共有するのは、私にとってもうれしい経験でした。
ウクライナからの難民や避難民に対して、日本社会の市民の自分たちにできる形で手を差し伸べ寄り添う共感の意思表示を積極的にされていることを大変うれしく思っています。なぜなら、いままで日本は難民の受入れに関して非常に
冷淡な国として、国際社会から認知されてきたからでした。
ただ、本来、人のいのちは出身国や地域によって選別できないはずです。ウクライナだけでなく、紛争や人権侵害を理由に他の国や地域から逃れた方々についても、お暗示ような支援や共感の場が必要です。難民や避難民の方々に共感を寄せるとともに、レジリエンスを発揮できるような包括的で公平な支援のあり方も模索する必要があります。
「共話シリーズ」が、難民という言葉に初めて向き合った人たちからの声にも耳を傾け、難民や避難民の方々に何か還元できるような、共話の機会になれば幸いです。